寂しさの良し悪しとBPD
◇寂しさの意味の仮説
■寂しさが「強い」か「深い」か
寂しさはみんなが少なからず抱えている。
ただ、寂しいという言葉はみんな同じように口にしていたとしても
本人が表現し表現しようとする「寂しさの意味」は個別的だ。
人と一緒に居ないのが寂しい。 肌を合わせる相手が居なくて寂しい。 人と居ても寂しさを感じる自分が寂しい。 お腹がすいて寂しい。 何も無いのに寂しい。
ただ、どうも寂しさは
「感情」と「状態」に大別される気がしている。
普通の人たちに
「寂しい」と伝えたところで、伝わらないことが多いのは
欠損感から生まれる寂しさってのは恐らく、一般の人たちは経験していないからなのだと思う。
失って得るのが挫折じゃなくて欠損なのは
これはある意味で自分ではどうしようもない時期の話だからね
たぶんだけど、健常者の人たちの寂しさは強弱なんだと思う。
対して、寂しさに蝕まれる人の寂しさは「深さ」で表現されることが多いように思う。
寂しさで心が痛いのは強弱の人の話。
寂しさが心をポッカリと消していくのが「深さ」で表現する人たち
◇健全な寂しさは人を強くする
■寂しさ=尽くせる相手が居ない自分
寂しいと言うのは心の持ち方と同時に
「他者が不在で自分し居ない」と同義かもしれない。
それは
「相手から何かをしてもらう」とか
「自分は一人で過ごすしかない」とかっていう
”自分に対する他者からの効果”というよりも、もしかしたら
「何かをしてあげられる相手が自分には居ない」という意味が
寂しさの本質なのかもしれない
■寂しさは他者との接着剤
私だけなら汚い部屋で
適当に何か食べてすますんだけど
あなたと一緒じゃそれはできない
掃除もしたいし何か作るわ
人がひとりじゃ生きていけないって
よく言うのはさみしいからっていうより
誰かのために何かしてあげたくて
いつでも隣にいる その人のかがやきが
まぶしいと自分もそこに近づこうとする
(lecca/???)
■大切な人が出来ると自分を大事にする
チャランポランな人生。
自堕落で破滅的。
その日その日の欲望を満たすために毎日を送っていたAさん。
ある時を境に
人生がスタートする。
愛する人が出来て自分を大切にするようになる。
栄養のあるものを食べ、夜には寝て、仕事をする。
なぜなら、愛する人を守りたいから。
その人を社会と言う枠の中でしっかりと守っていくためには
守れる自分、社会で勝ちの自分で持続的にならなければならない。
だから、自分を大切にする。
自分だけのために自分を大事に出来ない人であっても
守りたい人のためなら、自分を変えていける。
守る誰かができた時に
男って強く変われる
(キンキキッズ/ジェットコースターロマンス)
とは、まさにこの事。
きっとこんなふうに、
誰かのために生きることって人間にとっては結構幸せなこと
だからこそ、誰かのために生きれないこともまた、「寂しさ」と呼ぶにふさわしい状態だと言えるのでは
ないだろうか。
自分に何かを与えてくれる人がいないことだけでなく
自分を分け合う相手がいないこともまた、
寂しさなのだ、とleccaさんの歌詞に触れて漠然としていた要素が集合して
言葉になった感じ。
◇本質的な寂しさは簡単には埋められない
■寂しさの影響は計り知れない
寂しさには二種類あると思う。
一つは成人の寂しさで、
これは退屈という意味に近くて
感情というよりは”状態”の事を指す。
ちょうど、寝る時間になってベッドに入るけど
なかなか寝付けない、あの感じ。
あれは寂しいと思わず退屈と感じるものだ。
これは本来的な寂しさという意味合いではない。
感情群の一画を成す。
もう一つは乳幼児が感じるような切羽詰った寂しさで、
これは見捨てられ不安とも呼ばれる。
「寂しさは色も匂いも無い毒薬」
「寂しさで、人は壊れてしまう」
見捨てられる不安に近い寂しさは人生を追い込む。
捨てられる不安は、それを感じるのが怖いあまりに、
捨てられる前に捨てるなど愚行のもとになる。
そこまでしなくても
不安を消そうとして酒やギャンブル・過食や巨額な買い物で不安を紛らわせようとしてしまう。
この見捨てられる不安での寂しさへの対処法というのは
実は存在しなくて、対処療法的にアルコールやギャンブルなどで
”とりあえず”乗り越えようとする。
とりあえずだから、根本は解決していないので
いつまでもその行為を続ける。
いつしか、それなしではバランスがとれない=依存状態になる。
そして、見捨てられ不安が強烈な心の状態を持つと
BPDと呼ばれる診断領域になる
■境界性パーソナリティ障害(BPD)
・すべてつまらない
BPDの人の中には
虚無感に悩む人たちがいます。
その虚ろさを何かで埋めずにはいられません。
いけないと分かっていても、強い刺激を求めます。
・何かが足りない
自分がわからないという同一性の傷害、自己否定感、見捨てられ感から、
自分にも人生にもむなしさを感じる。
何が足りないのかわからないが、何かが欲しい。
心はカラッポ。この虚無感を何かで埋めずにはいられない。
刺激が強いほど、むなしさを忘れられる。
しかしながら、
親や恋人にすがっても
薬物や食べ物で埋めようとしても、癒されるのは一時だけ。
あとで後悔する。
おもしろいことも楽しいことも何も無い。
生きている充実感も感じられない
自分の寂しさの形をすっぽり補ってくれる存在を探しては裏切られ、
期待しては期待はかなわずに
破壊的な行動を繰り返す。
誰かがいないから寂しい、という状態ではなく、
誰が居ても何があっても。どうしても拭いきれない”感情と言う寂しさ”に蝕まれた典型例。
完璧に自分を満たしてくれる存在を徹底的に探す。
しかしこの世界で、自分を完全に満たすものなど出会える人間はそんなにいない。
それなのに求めずには居られない
◇BPDに発展する寂しさ
■しっかりした愛で寂しさを埋めてもらえなかった
理想的な自己像や他者からの完全な愛情を求め続けている人は
深い自己愛の傷つきや他者への幻滅を体験している人が多い。
また、人生早期にあまりに自己愛を満たされすぎて、
それから逃れられなくなったケースも多く見られます。
深い傷つきとして考えられるのは
親の自己愛の犠牲者として育ったと言うこと。
親にとって子どもが自分を満たす道具であった場合、
子どもはきわめて高い適応力を発揮し親の期待に沿う子を演じる。
そして子どもは、自分を抑えているうちに
自分側から無くなる。何で満たされるか分からなくなる。
残ったのは満たされない状態だけ。
鍵穴にはまる鍵がなくなったら、
どうやって心の開閉を行えばいいのだろう…
■自分で自分を満たせないので相手を利用する
共依存とは他人の世話焼きに没頭し自分の真の必要(欲望)が
わからなくなってしまった人のことである。最も多いのは夫に絶望し子供の世話焼きに没頭する母親だろう。
子を生きがいとし期待で縛り上げる。
この縛りから抜け出ようとする子は非行やひきこもりなどの期待はずれを演じる他ない。
縛りに甘んじる子は自分の欲望を知らないロボット人間と化す。
自己不在のままに成長してしまった場合に、
何かしらで自分を満たそうとする。
アルコールならアルコールにオブセスするだろうし
人間関係に活路を見出そうとするのなら、人間とのうまくいかない関係を破滅的に繰り返すだろう
■対処法として
自分を救ってくれる人を探すのではなく
自分で心のピースを整える。
悲しいけれど、失った寂しさの補填材料(=幼少期の母性性)は
もう、戻らない。だとすると、損なわれたままで生きれる方法を模索するしかない。
それには、相手への期待ではなく、そこそこの寂しさであれば耐久できる自己を繕って
生きていくしかない
自分が小さい頃から作り上げてきた生き方、
それには深い人生の意味が込められている。
だから変えていくのは大変な作業だ。
簡単には変わらない。
でも、変わらないことに気づけば、それが自己受容だから、変わる。
あえて言えば、人生に「間違った認知」などといいうものはない。
他に置き換えなければならない認知などない。
人それぞれに与えられた環境で生き抜くために、
つらい生き方を取り入れ「ゆだんだ認知」を必要とするのだ。
2012-02-01 00:54
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