依存的な愛を幸せと呼んではいけないのか



トラウマみたいな自分の弱い部分をひけらかして他人の興味を惹こうとする気持ち、
わからなくはないけど
その戦法で引っかかる人は弱ってるひとが好きなだけだと思う。



助けになれるような、自分がヒーローになれる部隊がちょうど良く見つかっただけであって
本当の意味で気持ちが帰属した関係とは言いがたいのではないかと思う。



役割だけの関係、というか。
あて胃のためじゃなくて自分が役割を得ることで救われる為、というか。。





心が離れないようにずっと弱いフリをしてると本当に弱い人間になって
依存症になってしまう気がする。


誰も幸せになれない。良くない。









いや、短期的には圧倒的な幸福感を得られるかもしれない。
お互いにお互いが居ないと生きていけないという運命めいたものを感じるかもしれない。






ただ、未来ある関係性ではない。
その時点、お互いがお互いにもたれかかっているような状況では
いずれ、ガタが来てしまうだろう。




誰かが常にそばに居ないと自分を支えられないっていうのは
ちょっと弱い。





なんていうか、幸せは誰かとの関係性の中で作っていくものなんだけど
一方で、一人で地に足つけて進んでいける能力、つまり一人でも幸せに生きれる人間にならないと
本当幸せは見えてこないんじゃないかと思ってしまう。



なぜなら、どれだけの知識や財力があろうとも
心が脆弱な人間は
まともな人生を送ることなどできないし幸せになることも無いから。




自分で自分を保ててこそ、相手との関係性が深まっていく。
相手のために尽くせる自分になれる。


あまりに未熟な自我であった場合、
自分が幸せになるために相手を”消費”する関係になってしまい可能性が
高いと思うから。



誰かの犠牲前提に成り立つ幸せなんて
本当の幸せ、持続可能な幸せとはなりえないと思う。


犠牲が出てくるのは仕方ないとしても
それを個々が最小限に抑える努力をしないのは
おおよそ幸せを与え合う関係性にはなり得ないのだと思う。









ただ、運命を盲目的に信じるのなら
依存しあって相手が居なきゃいきていけないっていう 必要さをお互いで支えあえることこそに究極の幸せがあるような気がする。



必要な人に必要とされることほど
生きている意味を感じられることって無い。










「あなたしか居ない」っていうのは 私しか居ないって事。 私しか、あなたを救えないから、 私はあなたを捨てられないし絶対に救いたい
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