いつまで予行練習を続けなければならないのだろう [愚痴]






振り返れば
いくつもの偶然に囲まれて
愛する人
友達と繋がってきたはずなのに
嘘をついて
何度
虚しさ感じただろう

同じ歩幅で
躊躇わずことなく

いつだってそうだった
心許せなかった
強がってしくじって
精一杯だった。

(hello/superfly)

















■もう、いいや




生きることに疲れた。
もう生きるのがいやになったという意味で。


肉体的に疲れたのであれば
休めば回復する。寝れば回復する。
しかし、生きることに疲れたときには
寝ても疲れは取れないし
だいたい寝ようとしても寝付けないことが多い。

よく、「話を聞いてもらうだけでもラクになるよ」って言う言葉を聞くのだが
残念ながら、人と会話するのでさえ、シンドイ。
エネルギーを消耗する。完全に枯渇してしまいそう。




それは無理をしているからである。
興味が無いのに興味のあるフリをして
話をしなければならないからである。

人前で自分を偽るからである。


見たいものもない。
映画にも演劇にもいきたくない。
会いたい人もいない。
でも家に居ても退屈でやりきれない。

独りでいる事は楽しくないが
皆でいるのも消耗する。
そして何をするのも億劫である。
自分からしたいこともない。
かといって何もしないで居るのもつらい。

長いこと様々な感情を強引に心の底に押し殺しているので
生命力が低下しているのであろう。




■人生は乗り越えるもの。耐えて苦しむだけ


ではなぜ、人は生きることに疲れるのだろうか。なぜ生命力が低下するのだろうか。
それは、生きることに疲れた人は
恐らく、憎しみとか敵意とか嫌悪感とか様々なマイナスの感情が
心の底に鬱積しているのであろう。


そして、誰からも受け容れられなかった。


この人生はきっと何かあるだろうと
一生懸命生きてきたのに
気が付いたら生きることに疲れていた。



(損失回避、やりたくないことを避けるためだけの人生だった。やりたいことなんか何もない。)



生きることに疲れた人は真面目な人である。
努力してきた人である。
努力している時に、まさか自分がこのようになってしまうとは予想もしなかった。
自分の努力はいつか報われると思っていた。
まさか自分の人生がこのような形で行き詰るとは予想していなかった。


でも今、生きることに疲れて何もする気にならない。









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